近畿広島県人会会長
森迫 清貴
会長挨拶

平素は、近畿広島県人会の活動にご理解、ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
今年は、特に、先に行われたG7広島サミットで、これまで以上にHIROSHIMAが国内外に知れ渡ったことと思います。本会会員も少なからず誇りと慶びを感じられたことでしょう。岸田首相や湯崎知事をはじめとする関係者の皆様のご尽力を心より賞賛いたしたいと思います。
さて、3年間にわたる新型コロナウィルスとの闘いは、この5月に新たな段階に入り、感染に気をつけながらの暮らしに戻りつつあります。会員相互の親睦を深めるイベント、広島県の高校代表やプロスポーツの応援、観光・物産を支援する取組など、制限を受けてきた行事もわれわれの責任において企画・実行することが出来るようになりました。
また今年は、本会の前身である「広島人会」及び「福山人会」が、1883年に大阪で創設されてから140周年に当たります。1918年に両組織が統合されてからは105周年、1948年に現在の「近畿広島県人会」となって、75周年です。昨年度から役員・幹事会において、会の活性化に向けて運営や各種取組について意見交換を行っておりますが、皆様からもご意見を賜りたいと思います。よろしくお願いします。
ところで、今年3月6日竹原高校出身で文化勲章陶芸家今井政之さんが92歳でお亡くなりになりました。竹原の豊山窯を訪ねられた方もおられるでしょう。あのユーモラスで優しい人柄が思い出されます。ご冥福をお祈りしたいと思います。
では、「忘れんさんな 広島じゃろ」をテーマに、昨年に引き続き互いの『ひろしま縁』を確かめ合うこの「ふる里ふれあいまつり」を契機として、皆様とともに、近畿広島県人会をこれまで以上に盛り上げていきましょう。
近畿広島県人会の概要
近畿広島県人会は1883年(明治16年)、当時の大阪砲兵工廠長首藤少将・田坂宗之助氏の主導により、大阪に「福山人会」、「広島人会」が創設された年を起源とされています。
その後1918年(大正7年)に両組織が統合されて「大阪芸備会」と改称。
初代会長は森下博氏(森下仁丹創業者)が就任。
以降2代目会長は有田音松氏(有田ドッグ社長)、3代目会長に、山口玄洞氏(山口玄・創業者)、4代目会長は久保田権四郎氏(久保田鉄工創業者)と、そうそうたる創業者社長が就任されています。
第2次大戦中は一時活動が中断されましたが、戦後の1948年(昭和23年)第5代会長に就任された住友銀行頭取・鈴木剛氏は活動を中断されていた旧組織の再構築に奔走され、名称も現在の「近畿広島県人会」と改称されました。
戦後復興期その後の高度成長期には広島県出身新規学卒者など若者の相談窓口として大きな役割を果たしたとの由。
第7代会長の石井寿一氏(大阪日日新聞社社長)在任中(昭和35~41年)の昭和38年、中之島の中央公会堂で開かれた創立80周年記念総会には2,500余名の参加者があったそうです。
また当時の会員は、4,000名を超えていたとの記録もあります。
日本全体が豊かになり、高度な情報社会となった現在とは隔世の感がありますが、今でも故郷広島を想う会員同士が集い、親睦交流を図る組織である事は変わりません。
かかる伝統ある当会の歴史は今年で140年目を刻みます。
現会長の森迫清貴氏は第16代会長となります。
近畿広島県人会の主な役員
